4.孤独の極北に立つ男
不穏な雰囲気のプロローグの後、『私は墜落中だった。』という印象的な文章でこの物語は始まる。
ルーティンワークと化した仕事、つまらないトラブルの処理。「私」は人生のすべてに楽しさや達成感を抱けなくなっている。
これが外からの圧倒的な力でそうなったのならまだ救いもあったのだろうが、「私」が墜落している理由は「私」の中にしかないのだ。
支えようとしてくれる上司、部下、柔らかな時間をくれる女性たち、そして家族。それらを感じとれないどころか、まるでそれらが邪魔をしているのかのように感じてしまう、どうしようもない泥沼の中に「私」はいる。
そんな「私」の前に謎めいた青年Kが現れたところから物語は動きだす。
動きだすのだが、「私」はだめな方へだめな方へ行ってしまうのだ。読んでいて「早く気付けよ!」と何度思ったことだろう。だめな時って本当にだめなんだな、うまく回らないものなんだな、とため息が出る。
こういうふうに書いてしまうと、なんて重苦しい物語だろうと思われるかもしれないが、それが全く違うのである。いや重苦しいのは重苦しいのだけど先が気になる。ページを繰るのがもどかしい。
いつの間にか、「私」が救われますように、と祈るような気持ちで読んでいるのである。
なぜ、そんな気持ちにさせらるのか。
ひとつは文章の美しさと確かさであろうと思う。ほんの短い文章にはっとさせられる。
例えば、ある女性の部屋でメモとペンが出てくるのに時間がかかった場面、『そもそも、何かを生み出すようなものが、この部屋には皆無なのだ。』という一文にはどきっとした。女性の雰囲気、その女性と「私」の関係までもが浮かび上がってくる。
文章そのものに惹き込まれていく。
もうひとつは、人は誰しもいつ墜落するかわからない、そしてそれを救えるのは自分しかいない、という私の確固たる思いのせいかもしれない。それは、勝手に堕ちていくんだからそれをただ見ているだけしかないだろうという突き放した気持ちではないのだが。
堕ちていく人を救うのは何故だかとても難しいものだ。もしかしたらより傷ついているのは、周りで助けようとしている人たちなのかもしれない、とさえ思う。
ほとんど登場しない妻の描写、妻との短い会話に私はその雰囲気を感じた。もちろん私は妻としてこんな経験をしたことはないが、何か共感するものがあったのだ。
「私」はいつ気付くのか、いや気付かないまま堕ちてしまうのか、ハラハラしながら読み進んだ。
ここまで、「私」と著者である高木敏光氏が同一人物かのように読めることには触れなかったが、この物語の主人公「私」の名前は高木であり、職業はクリエーターであり、実在の会社を思わせる描写も多い。高木氏の作品がそのまま登場したりもする。
そういう意味で読むのも面白いのかもしれない。けれど、途中からそんなことはどうでもよくなるはずだ。
孤独の極北で「人生そう捨てたもんじゃないさ」と照れたように肩をすくめる男の物語をぜひ堪能して欲しい。
『クリムゾン・ルーム』(高木敏光・サンマーク出版)
*4月2日刊行予定
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